おこしやす つらら庵 ♪
先日、自転車で地元舞鶴の奥地、与保呂(よほろ)に行ってきた。
自宅からは10分くらいの所だが、何か用があって行くようなところでもない。
日も暮れかけていたから出会う人といっては夕飯の買い物に行く者か、仕事をし終えて帰宅する者ばかり。いずれも村の人である。
山と川に囲まれた一本道。
遠く水源地を目掛けて走って行くと、右手に造りの古い民家が点在している。
小学生時分の通学路でもあったこの土地は、あまりにも身近で、どこか目を背けたくなるような(個人的な経験により)ある種の”重荷”があった。
‥それまでをも描こうと思った。
絵というものが、何を表すべきかと問われると難しい。
美しい理想郷を描く者も居れば、現実をありのまま絵にする者も居る。
僕は、あくまでその人生を生きた者にしか描けないものでなくてはと思う。
それが喜びであっても、たとえ苦しみであっても構わない。
ちょうど腰を下せて、陽よけにもなっている一角を陣取り、スケッチに取り掛かる。
日本画や水墨画を制作する時に参考にする資料を描くので、そういう時はもっぱら取り回しのいい色鉛筆を使う。
鉛筆類は後片付けも要らず、直感的に塗れるので微妙な色をどう表現する?というような余計な逡巡がない。
短時間で済まさないといけない取材にぴったり。
これも絶対欠かしてはならない道具のひとつ。
巻いてあるバンドを外すと‥
小さなクッションになる。
綿の薄い粗末なものだけど、長丁場には本当に助かる。100均か何かで買ったと思う。
風景画なので大きなスケッチブック(F8)を使用する。
小さいとモチーフしか収まらず、それらを取り囲む周りの環境が描き込めないで残念な時があるからだ。
軽くアタリを取り、上から鋭い線でデッサンして行く。
このあたりの村は訪れても訪れても何にも変わらないようでも、やはり少しづつ変わっている。
風情のある家屋は取り壊され、代わりに山にそぐわない今風のコテージの様な妙で四角な家が建つ。
大きな時間の流れの中で確実に昔の姿から、ある何ものかに形を変えつつあるのだ。
「ここも、自分の生きた証として描いておかないといけない」
と、2年ほど前から度々気にかかる様になった。
というのも、この舞鶴の地にいつまで居るか分からないからだ。
自分は運転免許を持っていないし(この先も取る気はない)、母も還暦間近。
愛する親戚たちは居るけど、この地に居る意味もそこまではない。
歳を取れば取るほど僕たち親子にとって生活するのが難しい地になってくると思う。
‥かと言って、帰る故郷も無いのやけど。
そんな事を考えながら、とにかく描く。
あたりも暗くなりかけてきた。
‥実は、また奈良に住みたいと思っている。
頼る親戚も縁ももはやないが、あの土地に住んで、色々なところを描きたいと最近特に思う。
日本では最古の歴史を持つ古の土地。
何故か、呼ばれている気がするんや。
ここ、舞鶴は、育ててくれた町。
奈良は、自分という者を産んでくれた町。
言うなれば、僕には二つ故郷があるのだが、この二つの故郷の持つ意味合いと違いが、まだ自分の中で解決して居ない気がする。
この先どうなるか分からないけど、奈良に引っ越す事も考えて、一枚でも多く舞鶴の土地を描き残しておきたいと思っている。
描く事約1時間半、一枚のスケッチが完成した。
なんの面白みもないありふれた田舎の風景。
こういうものを、四季折々思い出と共に綴っていこうと思う。
作品としてどう結実するかは分からない。
あいにくの悪天候、折から雨がぽつらぽつら。
そそくさと帰り支度をしてまた自宅まで自転車を駆った。
秋口とは言えなくなってきた寒気が身に沁みた。
“ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの” –室生犀星–
皆さんにとって故郷とはどういったものですか?
また、おこしやす つらら庵 ♪
・この野外スケッチの動画版↓↓
○今日のちぃぴ○
コメントを残す